スピーチというのは、つまらないものもあるけれど、時に、とても想いが伝わるものだったりする。2009年2月15日、村上春樹さんがエルサレム賞を受賞し、スピーチしていた。どういう経緯だったか覚えていないが、そのスピーチ映像を見た記憶がある。それを見て思ったことを書いてみたい。
村上春樹さんは、 「高く硬い壁と、そこにぶつかって壊れる卵があったなら、私は常に卵の側に立つ、」とスピーチされた。 このスピーチは、まざまざと私にこの世界で起きている卵の無数の破壊を見せつけた。文字通り、視覚的に。
壁は高くそびえだっている。壁は分厚い。遠くから見ると、それは強固でなにものをも寄せ付けないように見える。ましてや卵がどんなに勢い良くぶつかっても一方的に卵が砕け散るように見える。私たちは壁にぶつかって砕け散る卵を目の当たりにして壁に脅威を感じ、それに逆らってはならないと思う。
しかし、よく見て欲しい、壁を。壁は高さも厚さも一律ではない。ところどころ、亀裂も入っている。見た目にはわかりにくくても、なにものも寄せ付けない硬い部分がある一方で、卵を柔らかく包んだり壊れないようにはじき返す部分もある。そもそも壁は無数にある。壁が入り組んで迷路のようになっていることもある。
さらによく見ると、壁は無数の結合によってできている。その結合は密であったり粗であったりする。そして、じっと目を凝らして見てみると、壁が卵でできていることがわかるだろう。卵をはねつける壁は、卵によって構成されているんだと思う。
壁を構成している卵は、なかなか自らの力で身動きすることができない。外から壁を壊そうとする卵が飛んできたとき、避けるために動こうとしても、結合が力強いと身動きすることができない。結果、壁の表面を構成する卵は外から飛んできた卵とまともに衝突する。そして、当然のことながらぐしゃっとつぶれる。傷つく。卵液が流れ出す。
すると、破壊された卵の周りの壁の中の卵は、自分は壊れないよう必死になる。表面にいたらいつ外から破壊者たる卵が飛んでくるかわからないから、できるだけ壁の内側に潜り込もうとする。時には、その競争の中で弱い卵が壊れることさえある。そういうことを繰り返しながら、壁は分厚くなっていく。できるだけ外から卵が飛んでこないよう、高くなっていく。できるだけ卵が飛んでこないよう、他の壁を防御壁とできる場所に移動しようとしたりする。
このことは、このスピーチの中で村上さんは言われなかったが、言いたくもなかったのかもしれないが、感じておられるのではないかと思う。卵はそれぞれに卵らしく卵として振る舞っているだけのことだ。だから、言う必要はない。ただ、あのスピーチにはとても共感したので、あえて言いたい。ぼくも、常に卵の側に立ちたい。一つ一つの卵が壊れないよう祈り、そのために自分にできることが何か問いかける。それは、外から飛んでくる卵にも、今にも壁に取り込まれようとしている卵にも、自ら意気揚々と壁の一部になろうとしている卵にも、外から飛んできた卵にぶつかり今にもつぶれそうな卵にも、驚異的なスピードで壁に衝突する卵にも、様々に考えることはあるけれど、それでも、私は、その傍らに立ちたい。
システムが、壁の中の卵も、外から飛んでくる卵も、傷付けずにどうにかできないものかと思う。
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