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月: 2019年6月

闇営業の問題とは

 少し前に、お笑い芸人の方々が「闇営業」したとしてニュースになり、所属事務所から解雇されたり芸能活動の謹慎処分を受けていた。これについて違和感があるので、考えてみたい。なお、解雇や謹慎といった処分ではなく、これが「闇営業」として問題とされることに違和感がある。

 まず、例えば、A事務所と芸能人甲夫さんの間で、芸能活動は全てA事務所を通し、甲夫さん自身や他の事務所を通してお仕事を引き受けてはならない、という契約を結ぶことがある。これは、いわゆる専属契約などと言われ、特に問題はないと思う。事務所と芸能人の方がどういう契約を結ぶかは、ちゃんと合意していれば原則として自由だからだ。それで、こういう契約を結んでいると、芸能人の方は、所属事務所に内緒で芸能活動してお金を受け取ってはいけないことになる。この、内緒で芸能活動することを「闇営業」と呼んでいるらしい。芸能事務所と芸能人の方の間でしっかりした契約書がないこともあるらしいが、芸能界の商慣習としてあるようだ。

 今回の件では、A事務所に所属する営業力のある芸能人の方が営業活動を行い、同じ事務所に所属する他の芸能人の方に芸能活動を行ってもらったらしい。A事務所にとっては、これを許したくないだろう。事務所を通さずに勝手に所属する芸能人にお仕事されたら、その仕事に金銭面でも内容面でも関与できないことになってしまう。そうすると、所属事務所がもらえるお金がない上、もし相手がお仕事してはいけない人だったり世間的に許されないお仕事だったりしたら、A事務所にとっても大きなダメージになってしまう。

 しかし、これは事務所とそこに所属する芸能人の約束事の問題なのだから、解雇されたり謹慎を受けたりするほどの問題なのかというと疑問がある。今回の問題は、その闇営業の相手が詐欺グループだったり暴力団だったりと、いわゆる「反社会的勢力」だったことのはずだ。つまり、所属事務所ではない仕事の紹介者や本人が、その仕事を引き受けていいかちゃんと判断できなかったということだ。

 「反社会的勢力」との繋がりは、現在の芸能界では許されないことになっている。国家規模で「反社会的勢力」の排除を強く打ち出していて、人気商売である芸能人が「反社会的勢力」とお仕事していると、その芸能人も所属事務所も人気が低下して大きなダメージを受けるだろう。良いイメージを得るために芸能人の方に宣伝広告を依頼する方々は、そのような芸能人にも事務所にも、お仕事を依頼しなくなるだろう。

 例えば「闇営業」が一般人の誕生パーティーの余興だったら、これほど問題にならなかったのではないか。それは世間一般に許されないというより、所属事務所と芸能人の契約問題だからだ。契約違反なら、所属事務所が貰えたはずのお金を芸能人本人から受け取るなどの方法で解決できるだろう。

  でも、報道やネットニュースなどでは、「闇営業」がキーワードになっていると思う。相手が「反社会的勢力」だったことが問題のはずなのに。なぜ? 

 この答えとして私に思いつくのは、①言葉の強さとして「闇営業」にインパクトがあり話題になりやすいのであえてこの用語で話題にしている、②「反社会的勢力との繋がり」を真正面から話題にすると所属事務所にも芸能人の方にも世間が悪い印象を持ってしまうので「闇営業」というキーワードを使うことでこの問題をオブラートに包んでいる、③芸能事務所側としては闇営業をなくしたいので、闇営業全般を下火にしたいという思惑を持つ勢力があえてこのキーワードが多く流れるようにしている、という可能性だ。

 つまり、この問題は、芸能事務所と芸能人の方々とのパワーバランスにおいて、芸能人の方々に勝手に営業して欲しくないという芸能事務所側の思いが反映されているのではないかと疑ってしまうのだ。

 今回、「闇営業」の相手が「反社会的勢力」だったことで、大きな話題となった。しかし、もし「闇営業」の相手が「優良な一般人」であった場合、それを問題視して所属事務所が芸能人の方に解雇や謹慎といった大きな不利益を負わせたなら、世間は不当な契約だといって芸能人の方の側に立つのではないか(今回の件は氷山の一角にすぎず「優良な一般人」相手の「闇営業」もあったかもしれない)。

 もしそうなら、今回の件は、芸能事務所が「闇営業」の失敗事例(営業相手の身元調査が不十分だった)を契機に、「闇営業」がなくなる方向に世間を誘導しようとしているのではないかと勘繰ってしまう。仮定に仮定を重ねてしまうが、そう考えると、いろいろに芸能人の方が意見を表明しておられる中で、今回失敗してしまった芸能人の方を擁護する意見を表明する方がおられることも、合点がいく気がする。

 そこで、今後の在り方として、所属事務所と芸能人の方々のパワーバランスの問題ではあるが、芸能人の方が所属事務所を介さずに自分で仕事を見つけてきた場合には芸能人の方の取り分を増やすといった方策が考えられないだろうかと思う。

 例えば一件10万円のお仕事があったとして、所属事務所が仕事を見つけてきてその身元調査もするのなら取り分は所属事務所4万円で芸能人6万円とし、芸能人の方自身が見つけてきて所属事務所が身元調査するのなら取り分は所属事務所2万円で芸能人8万円とする、誰か紹介者がお仕事を見つけてきて身元調査を所属事務所がするのなら所属事務所2万円紹介者2万円で芸能人6万円、といった具合だ。こうすれば、それぞれに応分の取り分があることになる(もちろんこの割合は芸能人の人気とか営業しやすさとかによって上下するだろう)。

 これなら「闇営業」でも所属事務所に応分の取り分が発生するので、所属事務所が取って来れなかったお仕事を芸能人の方が自らの力量で取ってくることができ、また、所属事務所も相手の身元調査や芸能活動の内容に関与できて応分の取り分を得られるので、問題が少ないように思える。

 これまでの商慣習を変えることは簡単ではないだろうが、単純に芸能人の方は「闇営業」をしてはいけないという結論に達することは、それこそ所属事務所との間で芸能人の方々が不当な契約を結ばされることになってしまわないかと危惧する。

 と、このようにいろいろ考えたものの、問題はそう簡単ではないと思う。まず、所属する芸能人ごとに契約の詳細が違っていれば 所属事務所の契約管理はとても難しくなる。それに、芸能事務所には将来の金の卵である方を青田買いして育成しているところもあるようで、そうならば人気が出た後の将来の果実を所属事務所が得られない可能性があり、芸能事務所の経営が成り立たないかもしれない。

 正直、妙案を持っているわけではない。もっとよい方法を考えてみたい。ただ、今回の件で単に「闇営業」がダメだとすることには強い違和感がある。 営業相手の調査が不十分だったこと 、相手が「反社会的勢力」の方だったことこそが問題だったはずだと、強く思う。

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村上春樹さんのエルサレム賞スピーチ

 スピーチというのは、つまらないものもあるけれど、時に、とても想いが伝わるものだったりする。2009年2月15日、村上春樹さんがエルサレム賞を受賞し、スピーチしていた。どういう経緯だったか覚えていないが、そのスピーチ映像を見た記憶がある。それを見て思ったことを書いてみたい。

 村上春樹さんは、 「高く硬い壁と、そこにぶつかって壊れる卵があったなら、私は常に卵の側に立つ、」とスピーチされた。 このスピーチは、まざまざと私にこの世界で起きている卵の無数の破壊を見せつけた。文字通り、視覚的に。

 壁は高くそびえだっている。壁は分厚い。遠くから見ると、それは強固でなにものをも寄せ付けないように見える。ましてや卵がどんなに勢い良くぶつかっても一方的に卵が砕け散るように見える。私たちは壁にぶつかって砕け散る卵を目の当たりにして壁に脅威を感じ、それに逆らってはならないと思う。

 しかし、よく見て欲しい、壁を。壁は高さも厚さも一律ではない。ところどころ、亀裂も入っている。見た目にはわかりにくくても、なにものも寄せ付けない硬い部分がある一方で、卵を柔らかく包んだり壊れないようにはじき返す部分もある。そもそも壁は無数にある。壁が入り組んで迷路のようになっていることもある。

 さらによく見ると、壁は無数の結合によってできている。その結合は密であったり粗であったりする。そして、じっと目を凝らして見てみると、壁が卵でできていることがわかるだろう。卵をはねつける壁は、卵によって構成されているんだと思う。

 壁を構成している卵は、なかなか自らの力で身動きすることができない。外から壁を壊そうとする卵が飛んできたとき、避けるために動こうとしても、結合が力強いと身動きすることができない。結果、壁の表面を構成する卵は外から飛んできた卵とまともに衝突する。そして、当然のことながらぐしゃっとつぶれる。傷つく。卵液が流れ出す。

 すると、破壊された卵の周りの壁の中の卵は、自分は壊れないよう必死になる。表面にいたらいつ外から破壊者たる卵が飛んでくるかわからないから、できるだけ壁の内側に潜り込もうとする。時には、その競争の中で弱い卵が壊れることさえある。そういうことを繰り返しながら、壁は分厚くなっていく。できるだけ外から卵が飛んでこないよう、高くなっていく。できるだけ卵が飛んでこないよう、他の壁を防御壁とできる場所に移動しようとしたりする。

 このことは、このスピーチの中で村上さんは言われなかったが、言いたくもなかったのかもしれないが、感じておられるのではないかと思う。卵はそれぞれに卵らしく卵として振る舞っているだけのことだ。だから、言う必要はない。ただ、あのスピーチにはとても共感したので、あえて言いたい。ぼくも、常に卵の側に立ちたい。一つ一つの卵が壊れないよう祈り、そのために自分にできることが何か問いかける。それは、外から飛んでくる卵にも、今にも壁に取り込まれようとしている卵にも、自ら意気揚々と壁の一部になろうとしている卵にも、外から飛んできた卵にぶつかり今にもつぶれそうな卵にも、驚異的なスピードで壁に衝突する卵にも、様々に考えることはあるけれど、それでも、私は、その傍らに立ちたい。

 システムが、壁の中の卵も、外から飛んでくる卵も、傷付けずにどうにかできないものかと思う。

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